貝ボタンの歴史について、なぜ奈良県で貝ボタンが作られるのか?

公開日: : ボタンのこと

皆様はじめまして!

カジュアルファッションサポーターの塚田と申します。昨年の6月に入社しブログでの登場は初となります!

小さい頃から洋服が好きで『将来は洋服に関わる仕事をする!!』と幼少期の頃から言っていたそうです。私は全く覚えていませんが(笑)そして洋服と同じくらい音楽や写真、アート作品なども大好きで、ライブや個展などによく足を運んでいます。また、最近は1980年代に発売されていたフィルムカメラを購入したので、パシャパシャ色んな写真を撮っています。

普通のカメラと違ってなんとも言えない古臭さと現像しないとどんな風に撮れているのか分からないワクワクさが本当に楽しいです!!フイルムも色んな種類や年代物もあって面白いです。

好きなものを語りだすと止まらないのでここまでにしておきます(笑)そんな年代物に興味がある私が今回は「貝ボタンの歴史について」簡単にですが、ご紹介したいと思います!

 

そもそも貝ボタンとは?

以前のブログでも何度か紹介していますが、貝ボタンとはそもそもどんなものなのか軽くご紹介します。

貝ボタンは貝殻からとれる天然素材のボタンで、主に高瀬貝、白蝶貝、黒蝶貝、茶蝶貝、あまり多くは使われませんがサザエ、アワビなどが原料として作られているボタンです。

幸徳ボタンの見本帳より

もっとも代表的素材は高瀬貝ですね。黄色かかったようなクリーム色っぽく、淡い虹色の光沢が特徴なボタンです。原料はインドネシア、パプアニューギニアなどで採られることが多いです。

幸徳ボタンの見本帳より

次によく使われるのが蝶貝です。この貝は2枚貝で、内部の被膜が原料とされていて、貝の内側そのものの色合いとなっています。白蝶貝、黒蝶貝、茶蝶貝の3種類があり、これらの蝶貝は真珠を作るための母貝で、「マザーオブパール」と呼ばれ、光沢が非常に奇麗なのが特徴です!中でも白蝶貝は貝ボタンの中でもその希少性から最高級品で、その美しさは目を見張るものがあります。蝶貝はタヒチやフィリピンなどで採られることが多いです。

幸徳ボタンの見本帳より

 

幸徳ボタンの見本帳より

 

幸徳ボタンの見本帳より

貝ボタンの歴史 -海外編-

現在、ジャケットや高級ワイシャツ、ニットなど幅広く使用されている貝ボタンですが、その歴史は古く、200年以上前から、人の手で作られていました。19世紀中頃にイギリスのバーミンガム、アメリカと続いて開発されたボタンの加工機によって、量産されるようになりました。透かし彫のものや絵が描かれたものなどの美術品的なボタンも作られました。

「ボタンの博物館」より

高級で「マザーオブパール」と呼ばれる白蝶貝は、19世紀ころ初頭に話題になり、西オーストラリアの沿岸で採取されていました。この頃、白蝶貝は潜水して貝を採取していました。この時に潜水夫として活躍していたのは出稼ぎにいっていた日本人だったそうです。元来海に潜り貝や魚を取り暮らしていた日本人にとって、潜水での貝採取は得意だったのです。

その後、白蝶貝は第一次世界大戦で世界的に価格が急落してしまいました。そんな中、日本では戦争によりボタンの原料が不足してしました。経済力の乏しかった日本ではまだ白蝶貝は高く販売できないが、高瀬貝は安くて需要を満たせるとなり、高瀬貝が日本に輸出され始めました。

 

貝ボタンの歴史 -日本編-

日本では明治20年頃ドイツの技術指導により、日本に貝ボタンの作成方法が伝わり、明治30年頃に大阪で製造が始まりました。ちょうど和服から洋服に移り変わっているときです。その後、現在でも貝ボタンの生産が多い奈良県に伝わりました。

奈良県はもともと養蚕農家、絹や綿の加工業を盛んでしたが、養蚕業や絹・綿の加工業は衰退していきました。その時に副業として貝ボタンの製造が家内工業として取り入られたのです。

ご存知の通り、奈良県には海がありません。しかし、海のない場所で赤道直下付近の海から輸入された原料を使って貝ボタンの製造をするというのは何とも興味深いですね。そして、貝ボタンの製造がこの時代の奈良県の農家を救っていたのかと思うと偉大なボタンだなと感じます。

そんな貝ボタンですが、当時日本ではまだ洋服の普及が少なく、多くは国外に輸出されていました。ボタンは袋に詰められて輸出されていました。

「ボタンの博物館」より

第一次世界大戦で貿易ルートが一時的に混乱に巻き込まれましたが、その後、輸出も回復し大正3~4年にかけて貝ボタン産業は急成長を遂げていきました。

 

そんな貝ボタンはいろいろな大きさや形へ加工され、多くの洋服に使われています。

幸徳ボタンの見本帳より

現在では天然素材ということで、サスティナブルの資材のひとつとして注目されています。

まとめ

とても簡単に貝ボタンの歴史についてまとめてみました。貝自体日本において最も古いボタンの材料と言われており、時代を刻んでいるボタンだなと感じました!!どんなものにも歴史があり、それを知るとその資材の良さをより感じますね!

 

そんな奥が深く美しい貝ボタンをご覧になりたい方は是非、弊社のショールームにお越しください!!

20/4/22現在ショールームの開放を中止しておりますが、落ち着きましたらぜひともお越しいただき歴史ある貝ボタンに実際に触れて目で見て頂きたいです。

また、それまでは過去に貝ボタン関連のブログも何件かありますので御覧ください^^

お問い合わせはコチラまで!

The following two tabs change content below.
Avatar photo

塚田 華衣

2019年6月に入社した塚田華衣と申します。
小さい頃から洋服が好きで、洋服に関わりのあるお仕事がしたいと思いクロップに入社致しました。
付属のことは分からないことが多いので、皆様のお役に少しでも早く立てるように只今勉強中でございます!
趣味は旅行とライブに行くこと、スニーカー収集です。
是非よろしくお願い致します。

記事を気に入ったらシェアをしてね

関連記事

PAGE TOP ↑