フリースのヒストリー

このあいだ里帰りして来ました♪

(と言っても第二の故郷ですが)

久しぶりのカラマツの紅葉と八ヶ岳の眺望に感動した〜

テキスタイル担当の瀧澤です。

11月に入り朝晩も大分冷え込むようになって

自宅周辺の木々も日に日に色づいて来ています

下の写真は玄関から700歩小山内裏公園を通る

尾根緑道の山桜並木です。

そろそろフリース素材のジャケットが活躍する季節ですね。

ところで

フリースと言えばPOLARTEC(ポーラテック)ですが

先週お客様の依頼で素材ピックアップと詳細説明を聞きに

POLARTEC日本代理店のSCT JAPANさんを訪問して来ました

そこでいただいたポーラテックの小冊子に

アウトドアライターのホーボージュンさんが書いている

ポーラテックヒストリーが面白かったので

今回は転載しちゃいます!

ポーラテックヒストリー

text by HOBOJUN

僕がうまれて初めて、“フリース”を買ったのは1989年のこと。

南米アンデス山脈での撮影旅行のために、出来たばかりのパタゴニア目白ストアを訪ね

シェルライニング付きのプルオーバーを買ったのがその最初だった。

鮮やかなパープルにど派手なサーモンピンクのパイピングが施されたそのフリースは

目の玉が飛び出るほど高価だったが、これまで経験したことがないほど温かく

コンドルが舞うアンデス深部から風速40mの烈風が吹くパンパまであらゆるところで僕を守ってくれた。

以来このフリースは僕の一張羅となり数多くの山行を支えてくれた。

だからポーラテック(当時はまだシンチラと呼ばれていた)という言葉の響きは僕の中で

特別な意味を持つ存在なのである。

しかしポーラテックは誰もが知っている超有名ブランドであるにも関わらず、なぜか詳しく知る機会がない。

メディアにおいても詳しく紹介されたことはほとんどなかったと思う。

そこで僕はボストン郊外のローレンス市にあるポーラテック本社を訪ね、フリースの歴史を紐解くとともに

本社工場に潜入取材をかけて、その出生の秘密に迫ることにしたのである。

フリースの歴史

かつてボストンの北側には広大な平原が広がるばかりで、産業と言えば牧羊と紡績ぐらいのものであった

現在のポーラテック社の創業家であるフィオレンステイン家は、19世紀にボストン郊外のモールデンに

紡績工場を持ち、ウールコートやユニフォームの製造を生業にしていた。当時の社名はシンプルに

モールデン・ミルズ(モールデンの紡績工場)と言った。

1865年当主のビル・フィオレンステインはボストンから30マイルほど北にあるローレンスへと

移住することを決意する。もともとローレンスに町はなく、あたり一面が原野だったのだが

1845年にボストンから最初の工業団が移り住み、“ファクトリータウン”として徐々に発展し始めていたのである

この地に工場が作られた理由は、ここを流れるメリマック川に年間を通じて豊富な水量があり

さらに大きな滝があったからだ。この滝を使って水車を回して機械を動かし、川から工場内へ運河を引いて

材料や製品を輸送したのである。

この地はまた“移民の街”としても有名で、19世紀中頃からアイルランド、ドイツ、イタリア、東欧、ロシアなど

世界中から多くの移民団が入植し、豊富な労働力があった。この様な条件を背景にウール紡績と織物の街として

栄え、最盛期の1920年代には人口9万4000人を擁する中堅都市になった。

この当時モールデン・ミルズの主力製品は兵士の制服や女性服だったが、戦後はホームファニシング(カーテン、

ソファ・ベッドなどの生地)が主力となり、生産量の4分の3を占めるようになった。

やがて世間では天然のウールに代わり、ナイロンやポリエステルなどの化学繊維が登場して人気を博し

モールデン・ミルズもポリエステル繊維を扱うようになる。そして1950年代になるとファッション界で

フェイクファーが大流行。ふわふわに起毛させたポリエステルの柔らかの肌触りが注目され、同社も

フェイクファー製造で多いに潤った。しかし70年代になるとフェイクファーの流行の廃れ、起毛ポリエステルの

需要も頭打ちになった。そんななか1981年に社の運命を大きく変えた一つ目の出来事が起こる。

西海岸からひとりのクライマーが本社を訪ねて来たのだ。彼の名はイヴォン・シュイナード。

あのパタゴニアの創設者であった。

イヴォンとの出合が運命を大きく変えた

当時イヴォンはパタゴニアを立ち上げたばかりだったが、シリアスなクライマーのためにイギリス製の

ラグビーシャツやレインカグールなどを輸入販売し、かなりの好評を博していた。

彼は非常に先鋭的な考えを持つ人間で登山界がまだコットンとウールとダウンと言う

旧来の天然素材に依存していた時代に、保水性を持たず、雨や雪に濡れてもすぐ乾く化学繊維に

着目していた。そしてそのヒントを北大西洋の漁師たちが日常着として使っている

「化繊パイルのセーター」に見つけてこれこそが山での理想的なレイヤリングアイテムではないか

と考えていたのである。

そのアイデアを試すためには素材が必要だったが、見つけるのは容易ではなかった。

しかし、1976年のある日イヴォンの妻マリンダがロサンゼルスの卸売りセンターで

フェイクファーコートに使われているモールデン・ミルズ社の素材を偶然発見。

さっそくそれでセーターを作り、様々な条件でフィールドテストを行なった。

このポリエステルパイルは毛玉になりやすく、かさばってゴワゴワし、見た目にも問題があったが

素材自体は非常に温かく、とくにシェルウェアと併用した場合には驚くべき保温効果を発揮した。

また濡れてもダウンのように保温性が落ちず、軽く振るだけであっと言う間に乾いた。

これこそが新しい時代のアルパインウェアだとイヴォンは確信した。

「イヴォンがミルズ社を訪ねて来たとき、アーレンは本当にビックリしたそうだ」

続く…

あいや〜思いっきり引用させていただきましたが今回はここまで

(続きは12月に)

だって疲れたもんね土曜日だし

ちなみにわたしが20年くらいズーッと使っている

LLbean社のポーラテックフリースパーカーは雨風を防いでくれるスグレモノで

かなりくたびれてますが手放せません。

そしてヤフオクで見つけてしまった

パタゴニアのヴィンテージフリースのフードジャケット

いやはや即決価格19万円だそうデス

と言うことでまた12月にお会いしましょう(笑)

弊社ではフリース素材も幅広く取り扱っています。

お問い合わせはコチラまで

では〜

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TAKIZAWA

テキスタイル課 課長株式会社クロップオザキ
テキスタイル担当のTAKIZAWAです。
生地のことなら何でもお聞きください。趣味がトレッキングや山登りなので、アウトドアウェアにもちょっとだけ詳しいです。「テキスタイルコラム-Textileから見た世界」を担当しています。私のミッションは失われつつある美しい地球環境を500年後の子孫に残すこと…誇大妄想Innovatorです(笑)

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