フリースのヒストリーその2

なんだかとても暖かい12月の始まりでしたが、

やっとこの時季らしい気温の週末です。

朝起きると家の前の銀杏の葉が一気に散っていました~

この週末は今年の梅酒を解禁♪

良き梅酒に育っていました(笑)

さて、今回はフリースのヒストリーその2

前回のフリースのヒストリーその1はコチラ

(ここからはエスシーティ・ジャパンさんが発行しているPOLARTECの小冊子に掲載されているアウトドアライターのホーボージュンさんの記事の転載です。)

現在のポーラテック社の副社長ジョナサン・エーデルマン氏は当時の様子をこう語ってくれた。アーレンと言うのは3代目社長を務めたアーレン・フィオレンステインのことである。

「何しろそれまでうちの会社とアウトドアの世界は何の関係もなかったからね。いったいこの若者は毛布の生地をなにに使おうというのか、アーレンにはまったく理解できなかったんだよ」

このころはまだ『フリース』という言葉も一般的でなく、イヴォンの思いつきがアパレル界に大革命を起こすことなどだれも想像していなかった。しかしアーレンは彼の申し入れを快く受け入れ、共同でパイル素材の改良をすすめることにした。そして、まずは英国の伝統的なボイルド・ウール(圧縮ウール)やフェルトの化繊版ともいえる『ポリエステル・バンティング』を開発。これでシンプルなプルオーバーを作ったところ大好評を博し、80年代前半におけるパタゴニア社の主力製品となったのである。

これをきっかけとして両者はさらに緊密に開発を進め、最終的にとてもソフトな肌ざわりを持ち、クライミングやキャンプでハードに使っても毛玉のできない両面起毛のポリエステル・フリースの開発に成功。まるでチンチラ(ビロード)のような肌ざわりとつややかで美しい光沢を持つことから、この新素材は『シンチラ(シンセティックのチンチラ)』と名付けられたのである。

このシンチラフリースは1985年の秋冬シーズンからパタゴニアのラインナップに登場し、瞬く間に浸透した。それまで登山用ウェアと言えばグリーンやカーキなどのアースカラーばかりだったがシンチラは明るくヴィヴィッドな色を纏っていた点も衝撃だった。

しかし、もしシンチラフリースが「パタゴニアだけのもの」だったら、これほどまでに定着しなかっただろう。素晴らしいかったのは両社がシンチラの特許申請を敢えてせず、2年間の専売権のみで販売権を広く世界に公開したことだ。これによってアメリカではもちろん、アルパインクライミングの本場であるヨーロッパブランドにも広くフリース素材が使われることになり、アウトドアのレイヤリングに革命を起こすのである。

その後フリース素材は、人気カジュアルブランドの『バナバ・リパブリック』や『ギャップ』に大々的に使われたこともあり、90年代に入ると全世界的に爆発的なブームとなる。そこでモールデン・ミルズは91年に同社のフリースを『ポーラテック』と名付けて商標登録。この時点で厚さと機能性の異なる「ポーラテック100」「ポーラテック200」「ポーラテック300」そして防風性を持つ「ポーラテック1000」のラインナップを取りそろえアルパインからカジュアルまであらゆる要求に対応できる体制を整えた。

ちなみにこのとき商標を『ポーラテックフリース』ではなく『ポーラテック』としたのには、将来は起毛パイルだけでなく、薄手のベースレイヤーや防水シェルなどさまざまな機能性ファブリックを作っていきたいという戦略上の理由があったからだそうだ…

とまだまだこの記事は

使用済みペットボトルを使用したリサイクルフリースの開発など

ポーラテック社とフリースの歴史について触れて行くのですが

転載は一先ずここで終了!

なんでかって?

昨日飲んだくれてたおかげで

これは月曜の朝の始業前に書いているので、そろそろ時間切れなのですね。

続きが気になる方はエスシーティジャパン社に問い合わせるか

(なんという無責任な~)

私が持っている小冊子をお貸しします。

服飾資材・服地についてのお問い合わせはコチラまで

テキスタイル担当の瀧澤でした。

では~

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瀧澤則夫

瀧澤則夫

テキスタイル課 課長株式会社クロップオザキ
アウトドア・スペシャリストの瀧澤です。
生地販売一筋でやってきたので、生地のことなら何でもお聞きください。趣味がトレッキングや山登りなので、アウトドアウェアには詳しいです。お気軽にご相談ください。

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